茶々丸の死 灰になるまで廃し続ける

灰になるまで廃し続ける

あ~イライラする。

茶々丸の死


2013年12月2日 4歳




昨日、逝ってしまった。
犬の寿命にしては余りに若く、
茶々丸自身もまた丸々として毛並みも艶やかで
とても死ぬような体つきはしていなかった。


茶々丸は1歳になる頃、てんかん持ちになってしまったので
普通の犬よりは長く生きられないだろうとは元々家族のみなが考えていた。

先代がゴールデンレトリーバーだっただけに
茶々丸の知能はよく先代の犬と比較されたものだったが、
柴犬の茶々丸は頑固で甘えん坊で臆病でアホな分茶目っ気たっぷりで
家族にはよく愛された犬だったと思う。

特に生後一ヶ月という毛玉のような頃に
我が家にやってきたので可愛さはひとしお、
まるで人間の赤ちゃんのようにみんなで可愛がった。

生後一ヶ月で人間しかいない環境に来たこともあり
茶々丸は自分の事を犬と認識出来ていなかったように思う。
ワン!と吠える事は滅多になく私たち家族がしゃべるとそれに混じって
アブアブと会話に入るようにして声を出していた。

犬を飼うのは茶々丸で3匹目だったが初めての室内飼いということもあり
買い物だろうが、観光だろうが、キャンプだろうがどこにでも連れて行って可愛がった。
本当になんというか親バカな家族だったと思う。


産まれてから2年程経った頃、私たちは旅行の為にペットショップに茶々丸を預けた。
それまでもそこのペットショップには2度ほどお世話になり信頼のおける店であった。
だが3回目のその時、成長し成犬と言える大きさになっていた茶々丸は
わりともう自我を出す様になっていて、きっと自分で我慢出来る点を超えたに違いない。
元々人見知りで知らない環境に身を置く事にストレスを大きく感じる犬であった事に加え
他の犬よりも臆病で無理にリードを引かれると言う事が嫌いだった。
だから普段の散歩も自転車に乗せたり、車に乗せたりして公園まで連れていっていた程で
甘やかしていると言えばそれまでだが、散歩嫌いな犬を無理やり散歩させる気もなかったので
気晴らしに公園に行く程度にしていた。

そんな状況であった茶々丸はどうやらその時の一泊預けをきっかけに
ペットショップの人にリードを引っ張られた事がトラウマとなったようだった。

ペットショップの人からそれと無い事を言われ、
帰宅した翌日私はストレス発散させてあげようと、
いつものように車で茶々丸と公園に連れて行った。

しかしその日私は茶々丸を連れて帰る事が出来なかった。

一頻りいつものように遊んだあと、
リードを付けて抱きかかえようとした。
リードで引っ張られる事は嫌だったので大体遊ぶとき以外は抱っこが移動手段だった。
その頃にはもう14kgとかなり大きくなってはいたがいつも抱いていた。

しかし茶々丸はその一瞬に顔色を変えて私に牙を向けてきた。私は左腕を噛まれた。
上着の上から噛まれたので肉が裂けて血が出る様な事もなく内出血した程度ではあったが
犬歯をむき出しにして威嚇してきたその様子に私はとても恐怖してしまい
抱っこ出来なくなってしまった。

もう夕方だったので仕事帰りの父に泣きながら電話して迎えに来て貰った事を覚えている。
父は有無を言わさぬ勢いで茶々丸を抱きかかえて帰ったのでその時の茶々丸は暴れはしなかった。


きっと、またあのペットショップに連れて行かれたら、とか
リードを無理につけられたら、とか
そういう事が茶々丸の頭にあったのかもしれない、と思う。

でもあれだけ可愛がっていた飼い犬に
あんなに怖ろしい顔を向けられ犬歯で威嚇され
私はもの凄いショックを受けた。


産まれて初めて犬を怖ろしく思った。


それまでゴールデンを飼っていた経験しかなくて
誰にでも人懐こく陽気で人間に絶対忠誠を誓ったような犬だったので
主人である自分に飼い犬が牙をむけるなんていう発想は私になかった。

だからもの凄くショックで、裏切られたような気持で数日間はよく眠れなかった。


今思えばそれが和犬と洋犬の違いでもあるし、
とくに柴犬は頑固さが強く絶対に譲らないポイントというのが
どの犬にも何かしらある事が多い、という話は後で知った。
それは主人である飼い主にさえ躊躇なく牙を向ける、という頑固さだった。


私はそれ以来散歩に行っていない。
正直に気持ちを言ってしまえば茶々丸の事が怖くなってしまった。

それはやはり茶々丸にも伝わっていたと思う。
それでも噛まれてからも私は幾度となく挑戦していた。

オヤツで気を紛らせながらとか、茶々丸の穏やかな時とか
色んな場面で様子を見てはもう一度抱っこしようと試みたが
茶々丸はどんな時もそれを許さずいつも瞬間的に私に牙を見せ、威嚇し、時に噛みつこうとした。

3回か4回目の挑戦で私の心は折れてしまった。

私は茶々丸が死ぬまでに3回は噛まれた。
他の家族は誰一人として噛まれなかったが、
それは一歩踏み込んだような世話はほとんど私がしていたからだった。


私が噛まれてからすぐに茶々丸は外飼いになった。
それまでは室内で飼い、おしっこやうんこの時間になると
母が抱っこしてベランダに出していたが
抱っこが出来ないとなればもう外に出しておくしかなかった。

今まで家の中で飼っていたので家族もみな複雑な気持ちだった。
茶々丸自身も慣れるまでは家に入れてほしいとクーンと鳴く事も多く
その声に家族みな心を痛めたが、だからと言ってリードも無理、抱っこも無理、となれば
室内にいれる手段は無いのだから仕方がない結果だった。
どんなに悲しげに可愛らしくクーンと鳴いていても、
抱こうとすれば牙を剥くので誰にもどうしようもなかった。


父はすぐに小屋製作に取り掛かり、
3畳ほどもある大きな小屋を庭に作った。

それは散歩に行かなくても小屋の中で遊んだりできる十分なスペースを考えた大きさだった。
リードを付けようとしたり、抱こうとさえしなければ茶々丸は友好的だった。
目を細めて頭を低くし撫でてもらう事を好み、噛みつく事はなかった。
ブラッシングも長時間でなければ気分良くさせていた。
お座りもするし、待て、も出来た。でもやっぱり抱っこは出来なかった。


元々道路が怖くて散歩も好きじゃなく
人見知りで他の犬も怖くドッグランでは散々だった茶々丸には
こういう飼い方が最も幸せであるように思えた。
今更嫌いな事を克服させようとしたり、無理強いするよりも
茶々丸にとってストレスのないように飼おうという結果に行きついた。


そのペットショップから帰ってきた頃から、
茶々丸にてんかんが目立つようになっていた。
遊んでいると急に筋肉が痙攣しバタンと倒れる。
その頻度は日に日に増していった。


茶々丸を抱っこ出来なくなった時にもちろんドッグトレーナーという選択もあった。
だけどテンションが上がったり、知らない人が来て恐怖したりすると
てんかんが酷くなったので今更茶々丸を矯正しようとするのは辞めた。


てんかんが見つかった時病院に通う事ももちろん考えた。
でも抱っこ出来ない以上病院に行く事も難しく、往診してくれる病院もあるが
てんかんは薬で治療するというよりもごまかす事しか出来ず
いずれは薬で腎臓や肝臓がやられて死んでしまうらしく
薬漬けにしても、しなくてもどちらにしても茶々丸の寿命を延ばすことは難しかった。


あれこれと考えた結果、
とにかく茶々丸自身がストレスを感じる事はやめようと
あとはその大きな小屋の中で自由にゆっくり過ごさせてやる事になって2年過ぎた、
そんなところで亡くなった。


てんかんは日に日に頻度が増していた。
それでも平穏に過ごしていたが、急に茶々丸の調子が悪くなったのは
先週から急にエサを食べなくなったからだ、と聞いていた。

それまでは一日朝と夕の二回、もりもりと食欲は旺盛で
コロンと体つきもよく毛並みも艶やかだった。

ジャーキーなどのおやつも好きで、食欲旺盛だった茶々丸が急にエサを食べなくなり
朝となく夜となく鳴いていたらしかった。

私はちょうどその茶々丸の様子が変わった頃にインフルエンザにかかっていて
治りかけたころも実家家族にうつしてはまずいので先週一週間は実家に近寄らなかった。
ただ、茶々丸の様子がおかしいから、とママに様子を見てほしいと言われていた。

私には言わなかったようなのだが、
その頃家族は茶々丸に対して安楽死も考えていたようだった。
朝昼晩と茶々丸が一日中鳴き吠える状態が三日続いていた。
恐らくてんかんの末期状態で体中の筋肉が痙攣していたのだろうと思う。

その時の茶々丸はもう抱っこしようとしても抵抗すらしなかったので
私に茶々丸を見せたら病院に連れて行く手筈だった。
エサも食べなくなったし水すら飲まなくなったのでママは覚悟していた。
鳴きつづける茶々丸が可哀想で楽にしてあげたかったと。


昨日、月曜日会社に行き、仕事帰りに実家に寄ろうと考えていた。


ところが昼ごろ、茶々丸が死んでしまったとメールが入った。


インフルエンザで一週間も休んでいた私は
さすがに実家の犬が死んだので、、、と言って早退を申し出る勇気は無く、、、
ママもそれは理解していたのだが火葬場が16時までだという。
私が一週間茶々丸の顔を見ないうちに死んでしまったので
私に最後見せてあげたいというママの気持ちもありがたく、
また私も最後の茶々丸をお見送りをしたくて、嘘をついて早退をした。

インフルからちょうど一週間だったので
風邪薬が無くなってしまったがまだ調子が悪いので引き続き薬をもらいにいく、、、と、、、


15時に上がり実家へついた。


正直なところ私は茶々丸を見ても涙が出るだろうか、とそんな事を考えていた。


噛まれてから散歩にもいけず
ただあの小屋の中でブラッシングをしたり掃除をしたり時々撫でたりする程度で
結婚して家を出てからはより一層茶々丸との距離が空いてしまったから。
家を出てもなお、茶々丸のブラッシングや小屋の掃除はしていたが
エサやり水やりはもっぱらママだった。


そんな事を考えて家に着いたが、
茶々丸を見た途端に涙が溢れて、しばらく止める事は出来なかった。



死んでしまってやっと無遠慮に首回りに触れる事に
抱きしめられることに皮肉を感じ、
ついこないだまで触れていた茶々丸の頬や背中が冷たく、
死ぬに似つかわしくない艶やかな毛並みと若さが
無性に物悲しかった。


いつも小屋に近づくとテンションが上がっててんかんを起こしてしまう程
激しく走り周っていた茶々丸が静かに横たわり、
心臓が止まってしまっている事が圧倒的だった。
もうこの子の時間は止まってしまった、という事が突き刺さった。


本当に、この子の命は終わってしまったんだなぁ、と言う事だけが響いた。



時間も無くなってしまうのでタオルで包んだ茶々丸を抱き火葬場へ向かった。
最後に体重を計って線香を上げて最後にお別れをして火葬をお願いした。
三日後には動物の共同墓地に納骨してくれるそう。
そこには、先々代のジョンに、先代のエルもいる。
人見知りで、犬とも仲良く出来なかった茶々丸に共同墓地は大変かもしれないね、
とママと言っていた。


茶々丸は幸せだったのかなぁ、という事には不思議とあまり考えが及ばない。


ちょっと特殊な飼い方をしていたのは
茶々丸にストレスを与えない方法を考えた全ての結果だったから、
幸せもそうでないかもあまり関係が無いような気がした。
誰にも邪魔されず嫌な事をしないでのほほんと日向ぼっこしながらゴロゴロ寝て過ごさせる事が
臆病でストレスを抱えやすいてんかん持ちの茶々丸にしてあげられる事だった。
これしかなかったのだから、その中で茶々丸の許す分だけ可愛がった。

ただ私は一週間インフルエンザで茶々丸の様子を見る事も出来ず
最後生きている時に撫でて、一声も掛ける事が出来なかったのが残念である。
茶々丸がそうしてほしかったかどうかは分からないが、私はそうしたかった。


先代のエルの時、私はあまり涙が出なかった。
9年を共に過ごしたエルは老衰を迎えたのでとても自然な死がそこにあった。
家族みんなが納得した自然の死であった。
今までありがとう、と茶々丸と同じ火葬場でお別れをし送り出した。

茶々丸は最後きっと苦しかっただろうと思う。
てんかんで筋肉が疲労し、最後鳴きつづけてしまう程に辛かったろう。
病死であるが故に最後まで辛い思いをしたかと思うと胸が痛む。
老衰ではない若々しい肉体が無情に非情に見えた。

まだ死ぬような歳じゃない、と言う事が
私にとっても家族にとっても一番心に痛い。
健康に寿命を全うさせてあげる事が出来なかったという辛さばかりが残る。



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[ 2013/12/03 11:07 ] ◯犬   茶々丸 | TB(-) | CM(0)
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